「父の縁側、私の書斎」(新潮文庫)
皆さん、こんにちは、R+house八千代・幕張です。
それにしても、北海道や日本海側の豪雪すごいですね、毎日夜明け前に起きて、雪かきしないと仕事にも行けない状況とは...。
千葉に住んでいると、冬はもっぱら晴天が多いので逆に乾燥してカラカラですが、全然違うんですね。
それにしても、北海道や日本海側の豪雪すごいですね、毎日夜明け前に起きて、雪かきしないと仕事にも行けない状況とは...。
千葉に住んでいると、冬はもっぱら晴天が多いので逆に乾燥してカラカラですが、全然違うんですね。
本日のお題は「父の縁側、私の書斎」
建築家の中村好文さんがお薦めしていた本です。
アマゾンで購入して読んでみたら、なかなか面白かったので本日はこちらの本をご紹介します。
アマゾンで購入して読んでみたら、なかなか面白かったので本日はこちらの本をご紹介します。
著者は壇ふみさん、最近はテレビにあまり出ていないですが有名な女優さんです。
寅さんにも出ていましたね、「父」は作家の壇一雄、かなり破天荒な愛すべき昭和の「父」です。
壇ふみさんが「父」壇一雄について次のように語っています。
「新しい環境を、その都度自分の流儀で埋め尽し、埋め終ると同時に別の天地に遁走したくなる」(火宅の人)
壇一雄さんもほとんど家に居つかない火宅の人だったそうです。
その「父」はあるとき、ふと旅行のつもりで出かけたポルトガルに1年半も腰を落ち着け
いっこうに家に帰ってこない。やっと日本に戻ってきても「東京は身体にあわない」と逃げるように別の天地を求めて出ていくような「父」。
そんな愛する父は早くに身体をこわし、離れ島で闘病しながら亡くなってしまい、父との思い出が詰まる家はその後、建て直されたのです。
現在、檀ふみさんの暮らす建替えた家での煩雑な悩みは尽きることがありません。
けれど壇さんの心の中には「生活すること」を愛した父の魂が息づき始めている―。
深い共感と切ない郷愁を誘う、"家"にまつわるエッセイ集です。
ところで、その建替えられた家というのは、ある知り合いの建築家とあーでもない、こーでもないと右往左往しながら建ちあがったものでした。このやりとりがかなり面白いのです。ぜひ読んでみてください。
その中のエピソードで面白かったのは縁側についての壇さんの考察です。
引用しますが、
「そういえば今の家には縁側もない。植木屋さんに入ってもらって「あれっ」と思った。一服していただく適当な場所がないのである。植木屋さんは「ここで結構」と玄関前の石の上にあぐらをかいて、鷹揚にお茶をすすった。しかし、何かが違う。美しくない
はっと、「縁側」に思い当たった。昔のわが家には濡れ縁があった。その濡れ縁に腰かけて、職人さんたちはお茶を飲んでいたのだ。」
そういえば私が育った実家にも縁側があって、天気がいい日はそこに寝そべって漫画を読みふけったり、友達が来たときはそこでお菓子を食べながら、わいわい遊んでいたな。
夏はもちろん花火をしながら、アイスクリーム食べた懐かしい縁側。
以前は仕事で農家さんの家などを訪問しながら商談をしていましたがお家もそうです、だいたい営業マンとの打ち合わせは土間か縁側です。
そこでゆっくりとお茶をいただきながらお話をします。ちなみに初めての訪問(もちろんアポイントなしの飛込訪問)はたいてい敷地には入らせてもらえず、門の外で追い返され、時には飼い犬に噛まれたり、塩を撒かれて多い返されました。そのうちに、だんだん心を許してくれて、縁側か土間で話ができるようになります。
寅さんにも出ていましたね、「父」は作家の壇一雄、かなり破天荒な愛すべき昭和の「父」です。
壇ふみさんが「父」壇一雄について次のように語っています。
「新しい環境を、その都度自分の流儀で埋め尽し、埋め終ると同時に別の天地に遁走したくなる」(火宅の人)
壇一雄さんもほとんど家に居つかない火宅の人だったそうです。
その「父」はあるとき、ふと旅行のつもりで出かけたポルトガルに1年半も腰を落ち着け
いっこうに家に帰ってこない。やっと日本に戻ってきても「東京は身体にあわない」と逃げるように別の天地を求めて出ていくような「父」。
そんな愛する父は早くに身体をこわし、離れ島で闘病しながら亡くなってしまい、父との思い出が詰まる家はその後、建て直されたのです。
現在、檀ふみさんの暮らす建替えた家での煩雑な悩みは尽きることがありません。
けれど壇さんの心の中には「生活すること」を愛した父の魂が息づき始めている―。
深い共感と切ない郷愁を誘う、"家"にまつわるエッセイ集です。
ところで、その建替えられた家というのは、ある知り合いの建築家とあーでもない、こーでもないと右往左往しながら建ちあがったものでした。このやりとりがかなり面白いのです。ぜひ読んでみてください。
その中のエピソードで面白かったのは縁側についての壇さんの考察です。
引用しますが、
「そういえば今の家には縁側もない。植木屋さんに入ってもらって「あれっ」と思った。一服していただく適当な場所がないのである。植木屋さんは「ここで結構」と玄関前の石の上にあぐらをかいて、鷹揚にお茶をすすった。しかし、何かが違う。美しくない
はっと、「縁側」に思い当たった。昔のわが家には濡れ縁があった。その濡れ縁に腰かけて、職人さんたちはお茶を飲んでいたのだ。」
そういえば私が育った実家にも縁側があって、天気がいい日はそこに寝そべって漫画を読みふけったり、友達が来たときはそこでお菓子を食べながら、わいわい遊んでいたな。
夏はもちろん花火をしながら、アイスクリーム食べた懐かしい縁側。
以前は仕事で農家さんの家などを訪問しながら商談をしていましたがお家もそうです、だいたい営業マンとの打ち合わせは土間か縁側です。
そこでゆっくりとお茶をいただきながらお話をします。ちなみに初めての訪問(もちろんアポイントなしの飛込訪問)はたいてい敷地には入らせてもらえず、門の外で追い返され、時には飼い犬に噛まれたり、塩を撒かれて多い返されました。そのうちに、だんだん心を許してくれて、縁側か土間で話ができるようになります。
縁側には、玄関ほどのよそよそしさ、ものものしさはありません。ご近所の人、私たちみたいな営業マンと話すにはちょうど良い距離感というか環境ですね。しかも勝手口のような、せわしなさもない。外に向かって、ゆったり、温かく開いています。落ち着いて、ゆったりと心を通わすことができました。縁側とは季節と心を通わせる場所。家の中のようにくつろいで、外に向かえるところ。子どもにも猫にも愛される場所です。
最近はウッドデッキ希望される方多いですが、ウッドデッキはリビングの延長、家の中から外に向かっていくもののような気がします。
なので、「家族のもの」というイメージが強いです。庭からのアクセスも一段上がっていく使い方です。家族以外の方がそこに立ち入ることに遠慮しがちなイメージを持ってしまいます。ウェルカムな印象は縁側のほうが断然あります。
建築家の中村好文さんはこのエッセイを読んで「おちおちしていられない」気持ちになるそうです、もっと言うと「身の置き所のない思い」にもかられるそうです。なぜかというと、
最近はウッドデッキ希望される方多いですが、ウッドデッキはリビングの延長、家の中から外に向かっていくもののような気がします。
なので、「家族のもの」というイメージが強いです。庭からのアクセスも一段上がっていく使い方です。家族以外の方がそこに立ち入ることに遠慮しがちなイメージを持ってしまいます。ウェルカムな印象は縁側のほうが断然あります。
建築家の中村好文さんはこのエッセイを読んで「おちおちしていられない」気持ちになるそうです、もっと言うと「身の置き所のない思い」にもかられるそうです。なぜかというと、
壇ふみさんが20代半ばで一念発起し、建てた家。
しかも家づくりの専門家である「建築家」に設計を依頼して建てた自宅。その自宅の様々な不具合について言及しているからです。
檀ふみさんの筆致ですから、どこかユーモアとペーソスのオブラートに包まれているのですが、建築家にとっては針のムシロだそうです。
家をこれから建てようと考えている方にとっては、しっかりと檀ふみさんの普請の失敗談を頭に刻み付けておけば、いつか家を建てる時には、ハウスメーカーや建築家と対等に渡り合えるのではないでしょうか?と家づくりを検討している方に強くこの本を読むことをすすめています。
逆にいいますと、わたしたち建築に携わるプロにとってもこの本は必読書になるとも思います。なんのためにクライアントは家を建てるのだろうか、そこの家で何十年という長い年月も住宅ローンを払いながら暮らしていかれるのです。
いってみれば「なけなしの大金」をはたいて人生で一番の高い買い物をされるわけです。一円たりとも、クライアントのお金を無駄にはせず、後悔をしない暮らしを提供することがわたしたちの使命であると改めて認識することができたよい本でしたので紹介させていただきました。
しかも家づくりの専門家である「建築家」に設計を依頼して建てた自宅。その自宅の様々な不具合について言及しているからです。
檀ふみさんの筆致ですから、どこかユーモアとペーソスのオブラートに包まれているのですが、建築家にとっては針のムシロだそうです。
家をこれから建てようと考えている方にとっては、しっかりと檀ふみさんの普請の失敗談を頭に刻み付けておけば、いつか家を建てる時には、ハウスメーカーや建築家と対等に渡り合えるのではないでしょうか?と家づくりを検討している方に強くこの本を読むことをすすめています。
逆にいいますと、わたしたち建築に携わるプロにとってもこの本は必読書になるとも思います。なんのためにクライアントは家を建てるのだろうか、そこの家で何十年という長い年月も住宅ローンを払いながら暮らしていかれるのです。
いってみれば「なけなしの大金」をはたいて人生で一番の高い買い物をされるわけです。一円たりとも、クライアントのお金を無駄にはせず、後悔をしない暮らしを提供することがわたしたちの使命であると改めて認識することができたよい本でしたので紹介させていただきました。